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ナムジャイブログ

2016年09月14日

福田和子魔性の女、唯一の家族息子は今?そしてあの和菓子屋は?





稀代の魔性の女福田和子
人を惹きつける才能
男を手玉にとる手腕は生まれつき。


福田和子を超える魔性の女は未だなし。


そんな福田和子にも4人の愛する子供達がいた。
特に長男の福田貞雄ですが
和子の唯一の理解者だったのかも。
追われる身でありながら頻繁に貞雄と電話で連絡を取り
挙句の果てに、潜伏先の石川県の和菓子屋に甥っ子ということで
呼び寄せ、見習い修行をさせるほど。

この長男に限らず、和子は実の子供達にとっては良い
母親であったようだ。

事実、和子の収監後も何度も面会に訪れているほど。




福田和子の人となり




そんな福田和子について調べてみました。

出生は1948年。愛媛県は松山市。
実家は売春宿を経営。

18歳の時に同棲していた男と強盗事件を起こし
松山刑務所で服役
松山刑務所で服役中松山抗争で逮捕された組関係者に
強姦される。

これが後の松山刑務所事件。

更に、移管先の高松刑務所でも同様の被害に会う。
しかし、被害届の提出は認められなかった。

看守が買収されたため。



出所後ホステスとして働いていたが、同僚のホステスの首を絞め
その後逃亡。

これが15年近くに及ぶ逃亡劇の始まり。



福田和子逃亡劇



逮捕までなんと5459日間も捜査網を好みにくぐり抜け逃亡を続けた
大阪を拠点に近畿・中国・北陸地方を転々と...
その間25もの偽名、整形を繰り返したが。

公訴時効成立の21日前。
福山市内のおでんやで逃亡劇の最後を迎える。

福田和子15年に及ぶ逃亡劇も最後は1997年7月29日福井市内で逮捕。


1997年8月18日殺人罪で起訴
公訴時効のなんと11時間前

では何故捕まったのか?

それは時効成立が迫ったこの事件を
マスコミが盛んに放映したからだという。
懸賞金500万円もかけられていたという。
これは日本で始めてという。

余談ですが、情報の提供者おでんやの女将は
懸賞金を全額慈善団体に寄付したという。



福田和子の家族は今



さて唯一の理解者である和子の長男ですが
現在は鉄工所を経営してるという。
そんな長男の貞雄ですが、
裁判でも母和子についてこう語ったという。


「母が犯した罪はどうしようもない。
被害者や遺族の方には大変申し訳無く思っています。
でも僕にとって大好きな尊敬できる母です。
将来出所後は一緒に住みたいと思っていて、
妻もそのことは了解しています。」


どれだけ母和子を理解し・愛していたんでしょうか!


そして、和子の経営者としての才能?を開花させた、
石川県の例の和菓子屋ですが、報道規制ということもあり
店名はわかりませんでした。

あの元巨人の松井秀喜も通ったという銘店だそうです。



2003年に無期懲役が確定され、和歌山女子刑務所に収監。
2005年2月にくも膜下出血のため緊急入院。

その後意識の戻らないまま3月10日、入院先の和歌山市内の病院似て死去。
享年57歳。






わたしが出会った殺人者たち (単行本・ムック) / 佐木隆三/著




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Posted by シューチャン at 22:44│Comments(0)芸能ニュース
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